藤田寛之連載 トークマイドラマ 第3回

藤田寛之連載 トークマイドラマ 第3回

第3回. 人を信じるという「挑戦」16.05.23 UP

1年間大会に出場できず、葛城にこもっていた僕は、6月くらいまではどうしてもクラブを握る気になれなかった。「大会に出たい」という気持ちと、「もうプロゴルファーとしてやっていけない」という気持ちがせめぎ合い、自分でもどうすればいいか分からない苦しみの中で立ち尽くしていたのだ。それでも、「9月からまた予選会が始まる」と自分を奮い立たせて練習を再開した。体をつくることより気持ちを整えることの方が何倍も難しく、何とか翌年のツアー出場権を獲得した時にも、晴れやかな達成感を感じることはできなかった。

今になって振り返っても、「あの時、こうやって乗り越えた」という明快な解は思い浮かばない。「大会に出る」という目標と、その先の「シード権を取る」という目標は本当に高い壁であり、僕はそのステージに行きつくためには自分に何が必要かを徹底的に考えた。しかし、どんなに考えても答えが出ないので、自分よりも先を歩いているプロゴルファーの先輩に助言を求めることにした。1995年5月、熊本県で開かれていた『三菱ギャラントーナメント』のクラブハウスで、僕は尊敬していたプロゴルファーの芹澤信雄さんに歩み寄り、「今度、練習ラウンドをご一緒させてください」とお願いしたのである。

この行動は、僕にとっては非常に勇気のいるものだった。僕はどちらかというと人の意見を聞かないタイプの人間だ。他人の言うことなどあてにならないと思ってきたし、自分の頭で考え、自分の意志で動くことを大切にしてきた。だが、五里霧中で立ちすくんでいるより、事態を打開するためには、自分が本当に信じられる人について行く方が早いと思い、勇気を振り絞って芹澤さんの元へ歩み出したのだ。結果的に、これが僕のターニングポイントとなった。芹澤さんを信じ、芹澤さんと行動をともにすることによって、僕はツアーで勝つ方法を少しずつ学んでいった。1997年9月には、僕にとって一生忘れられないであろう『サントリーオープン』での初優勝を迎えることになる。

自分に何が足りないか分からない時や、目的を見失いそうになった時、自分より前を歩いている先輩にアドバイスを求めることも、立派な「自発」であり、「挑戦」であると僕は思う。彼らには、僕たちに見えないものが見えている。自分のやり方に固執しないで、相手の言うことに耳を傾けることができるかどうかで、その先の結果が大きく変わることもあるのだ。

芹澤信雄さん(中央)の元に集まった仲間たち。芹澤さんを信じることで、僕はここまで成長できた
芹澤信雄さん(中央)の元に集まった仲間たち。芹澤さんを信じることで、僕はここまで成長できた