藤田寛之連載 トークマイドラマ 第4回

藤田寛之連載 トークマイドラマ 第4回

第4回. いつしか、辿り着いた高み16.05.30 UP

初優勝を経て少しずつ上位に食い込むようになったが、このころの僕が目指していたのは「毎年賞金ランキングで20位以内に入り、何年かに1回優勝するくらいのプロゴルファー像」である。むしろ、それだけの成績を出せれば最高点に近いとすら思っていた。

ところが、2003年ごろから僕はほぼコンスタントに年間1勝を挙げ、2008年ごろからは出場した大会の半数近くでトップ10に食い込むようになった。世界の賞金ランキングでも100位前後となり、自分でも漠然と成長を感じ始めていた。そんな中、2008年夏に北海道で開かれた『サン・クロレラクラシック』の会場で、翌週開かれる海外メジャーの『全米プロゴルフ選手権』に出場できるという、思いも寄らぬ連絡を受け取ったのである。

それまで僕は国内ツアーで勝つことしか考えていなかったから、一報を受けた時は、思わず「これ、ドッキリじゃないの?」と聞き返してしまった。自分が世界の舞台に立つなんて信じられなかったし、実際、渡米する飛行機の中では足がガタガタ震えていたくらいなのだ(笑)。

しかし、そうやって辿り着いた世界の舞台は、本当に最高の舞台だった。難度の高いコース、プレーを知り尽くした5万人ものギャラリー。そして、フィル・ミケルソンのような世界的スターが、自分と同じ練習グリーンに立っている!自分自身も初出場ながら日本人で唯一、予選突破することができた。最終的には68位タイに終わってしまったが、会場を去る時には「もう一度、この舞台に立つ」と強く思っている自分に気付いた。僕の志のステージは、知らぬ間に「海外メジャーでもっと上に行く」という段階まで上昇していたのである。

国内ツアーで優勝するたび、多くの仲間が祝福してくれた。応援してくれる人たちのために、高みを目指し続けようと強く思った
国内ツアーで優勝するたび、多くの仲間が祝福してくれた。応援してくれる人たちのために、高みを目指し続けようと強く思った

こう振り返ってくると、僕は階段を一段ずつ上るようにして高みを目指してきたことが分かる。高校生で「マスターズに行きたい」と宣言した石川遼選手のように、最初から世界の最高峰を目指せる人もいるが、僕はそういうタイプではなかった。現実的にイメージできる目標を掲げ、そこに到達するために必要なことをやり続ける。ようやく、目標としていたステージに到達すると、自然と新たな階段(目標)が現れる。そんなふうに時間をかけて一歩ずつ上り続けてきたことを、今では本当に良かったと思っている。二段、三段跳びで駆け上がったら、こんなに長く続けられなかっただろうし、一段ずつでも着実に上り続けていると、ある日、自分でも驚くほどの高みに到達していることに気付くのだ。2012年シーズン、僕は初の賞金王に輝き、プロゴルファーなら誰もが憧れる夢の舞台マスターズへの挑戦権を獲得した。

この時のマスターズは怪我の影響もあって残念な結果に終わったが、2011年に初出場した時と違って、しっかりと会場であるオーガスタを肌で感じようとしている自分がいた。長くてタフなコース。多くのプロゴルファーの歓喜と無念を呑み込んできた夢の舞台。ここに立てた充実感と、ゴルファーとして結果を出せなかった悔しさの両方をかみしめていた。この最高のステージを経たからこそ、僕はあらためてプロゴルファー藤田寛之の今後の方向性について考えるようになったのだと思う。