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真実の弾道

― 賞金王・藤田寛之が初めて語る、自らの来た道―

Photographer © Taku Miyamoto

HIROYUKI FUJITA

第 9 回夢の舞台 ―― 初めてのマスターズ

2011年4月、僕は海外4大メジャーの一つ、マスターズ・トーナメントに出場した。年間2勝した2010年シーズンに世界ランク48位となり、12月末にトーナメント主催者から招待状を受け取ったのだ。招待状は、僕の留守中に自宅に届いていた。それを手にしても、僕はまだ、自分がマスターズに出場するなんて信じられなかった。
<マスターズ>という名称は、僕の中では<夢のまた夢>という言葉と結びついている。僕は高校生のころ、ジャック・ニクラウスがマスターズで逆転優勝するのをテレビで見たことを思い出した。あの場所 ―― 選ばれたマスター(名手)だけが集う”ゴルフの祭典”に、自分が招かれる日がやってくるなんて、それまでただの一度も考えたことはなかった。

■初めてのマスターズ。前方を見つめる藤田と梅原キャディ

2011年3月末、大会1週間前に僕は現地入りした。マスターズが開かれるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ(米国ジョージア州)は、球聖ボビー・ジョーンズが設計家アリスター・マッケンジーらと共に創り上げたコースだ。ほかの3つのメジャー大会が毎回、違う会場で開かれるのに対し、マスターズは毎年、ここオーガスタで開催されている。
マスターズについて簡単に説明すると、「世界ランク50位以内」などの招待条件を満たし、主催者からの招待状を受け取らない限り出場できないユニークな大会である。会場のオーガスタは、魔女が棲むとまで言われる恐ろしく速いグリーンと、フェアウェイすら起伏が激しい、ひたすら長いコースで有名だ。大会期間中は、パトロンと呼ばれる目の肥えたギャラリーが5万人も詰めかけ、一種独特な雰囲気を醸し出す。すべてが、マスターズを単なる大会というより、選ばれし者たちが自分なりの演技を繰り広げる特別な舞台に仕立て上げているようだ。

僕は大会までの一週間、毎日オーガスタを回った。それまでに経験したどのコースよりも難しかった。距離があるので長いクラブを使うしかないが、それで非常に狭いエリアを狙うことを要求される。練習ラウンドのハーフ平均スコアは38だった。これでは予選通過は厳しいな、と心の中で思った。

■パトロンが見守る中でプレーする藤田(右)

大会初日、僕は初めてアンダーパーで回ることができた。覚えているのは13番のロングホール。2オンはできなかったが、僕は約40ヤードのアプローチをチップインし、イーグルを取った。その瞬間、ドーンと響くような音の渦に巻き込まれた。パトロンたちのものすごい歓声だ。鳴りやまない拍手の中で、僕は震えるような感動を覚えた。最終的に70で上がり、僕は初日、日本人ではトップの14位に立っていた。
2日目は、前日とは打って変わってうまくいかなかった。印象的なのは<アーメンコーナー>の入口に当たる11番。
ここは505ヤードと非常に長いミドルホールで、僕は練習ラウンドでも毎回、躓いていた。グリーン左側に張り出した池が気になって、グリーンを直接狙うことができない。この日も、やはり池を警戒するあまりミスショットし、ダブルボギーを叩いた。

結局、79と大崩れし、予選通過はかなわなかった。
僕の夢の舞台はたった二日間で終わってしまったのだ。

■マスターズを終え、夢の舞台を去った藤田を仲間たちがねぎらう

予選落ちという結果が悔しかったかどうか、今振り返ってみても、そこは微妙である。「あと二日間、ここにいたかった」という思いは確かにあったが、それは悔しさとはちょっと違う。むしろ、世界の名手たちと別れて、このコースを去らねばならない寂しさ、という方が近い。僕はオーガスタが要求するレベルに自分が達していないことをよく分かっていた。だから、大会後のインタビューでも「来年、もう一度チャレンジする」とは言えなかったのだ。もう二度と、この夢の舞台に立つチャンスはないだろうとさえ思っていた。

とはいっても、初めてのマスターズで得たものを今後の自分のゴルフに生かそうという決意はあった。僕はマスターズの舞台で、貴重なゴルフの種を拾ってきた。それは自分が忘れてしまえば消えてしまう小さな種だが、大事に育てれば、いつか何らかの形で現れる成長の種である。この小さな成果を抱えて、僕はオーガスタに別れを告げた。二年後に、再びこの地を訪れることなど予想もせずに。

 

最終回:新たなステージ ―― 今、再びマスターズへ  4月10日(水)更新

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