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真実の弾道

― 賞金王・藤田寛之が初めて語る、自らの来た道―

Photographer © Taku Miyamoto

HIROYUKI FUJITA

第 7 回僕の支え ―― 仲間たち

ゴルフはたった一人で戦う孤独な競技だが、僕には支えてくれる大切な仲間がいる。時にはライバルとして切磋琢磨するゴルファーたち、試合中、唯一の味方であるキャディ、用具やウエアを提供してくれるスポンサーの皆さん。本当に多くの人に支えられ、僕はゴルフを続けている。感謝の思いを込めて、3人の仲間を紹介したい。

■ 宮本勝昌プロ

宮本勝昌プロとはもう15年ほど行動を共にしている。師匠の芹澤さんの下に集う仲間で、トーナメント期間中はほぼ毎日、昼も夜も一緒に過ごしている。僕らは互いの良い時、苦しい時を一番近くで見てきた。だから、相手の苦悩を自分のことのように感じる時がある。
2007年シーズンは当初、宮本プロにとって苦しい季節だった。もともとスロースターターだが、6月になってもなかなか結果が出ない。当時の宮本プロのキャディから「一声掛けてほしい」と頼まれたのを機に、僕は彼に調子を尋ねてみた。僕自身、宮本プロがずっともがき苦しむ姿を見て、声を掛けるきっかけを探していたのだ。
この時は二人でゴルフの話をした。お互いプロだから必要以上に突っ込んだ話はしなかったが、その時の迷いを言葉にして一緒に確かめたような気がする。そうこうするうちに、8月、福岡県で開かれたKBCオーガスタで宮本プロはサラリと優勝したのである。
18番グリーン上、80センチのパットを決めれば宮本プロが優勝、外したらプレーオフという場面だった。優勝を決めて宮本プロが駆け寄ってきたとき、僕はどうしても涙を抑えることができなかった。彼の苦悩を知っていたから、彼の優勝が胸に響いた。自分の優勝でも泣けないのに、他人が優勝して泣いた稀有な思い出である。

■ 梅原敦キャディ

梅原敦君はもう14年も僕の専属キャディを務めている。プロゴルファーとキャディがこれほど続くのは珍しいらしい。両者は常に緊迫した状況で一緒にいるから、うまくいかないことが多いのだろう。
彼との出会いは1998年、兵庫県で開催されたつるやオープンに遡る。当時、ゴルフ場の研修生としてアルバイトキャディをしていた梅原君が、この時、僕の担当になったのだ。いいやつだなあという印象が残ったので、「関西に来たら、またキャディを頼むよ」と伝え、その後、実際に一試合担当してもらった。
そのシーズンの終わりに梅原君はプロの道をあきらめ、僕の専属キャディになりたいと言ってきた。嬉しい気持ちはあったが、当時は一人の人間を養う自信がなかったので、丁重にお断りした。しかし、彼はあきらめなかった。あんまりしつこいので芹澤さんに相談すると、3か月だけ試すよう勧められ、僕はそのアドバイスに従った。
結局、その3か月が半年になり、1年になり、気付いたら14年になっていた。僕たちは選手とキャディの雇用関係にあるが、僕は気付かないところで梅原君に何度も助けられていると思う。彼は間違いなく、藤田寛之のために全力を尽くしてくれる数少ない人間の一人だ。

■ ヤマハゴルフHS事業部 今野満雄

最後は、僕の用具のメンテナンスを担当するヤマハの今野満雄さんについて話そう。今野さんとの付き合いはもう20年になる。今野さんは最初、プロ担当ではなかったが、自分でヘッドを削って調整できる職人さんだったので、当時から「こういうクラブを作ってほしい」と頼んだり、今野さんが遊び半分に作ったクラブを試したりしていた。その後、今野さんは正式にプロ担当になり、今日まで僕の要望にきめ細かく応えてくれた。
メーカーが生み出したクラブをプロが使い、プロの要望に合わせてアレンジする。一方、プロの希望をメーカーが吸い上げ、新たなクラブを開発していく――こうした過程は非常に微妙だが、今野さんは僕の癖やタイミングを呑み込んでいるから、あうんの呼吸で物事が進み、もどかしさを感じることがない。また、仕事というより、気持ちと気持ちの付き合いを貫いてくれることにも感謝している。相手を理解して仕事に向き合う温かさがあるのだ。

このほかにも大切な仲間がいて、僕はみんなとファミリーのように付き合っている。仲間の存在が僕に孤独な日々を忘れさせ、もっと成長しようと思わせてくれる。彼らのために強くなりたい。いつの間にか、そう思うようになった。

 

次回:30代後半からの常勝 ―― 練習の虫 3月27日(水)更新

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