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真実の弾道

― 賞金王・藤田寛之が初めて語る、自らの来た道―

Photographer © Taku Miyamoto

HIROYUKI FUJITA

第 5 回勝てない時代 ―― 「ゴルフが怖い」

■賞金王の今、勝てない日々を振り返る。「あの頃、ゴルフが辛いと初めて思った」

僕のデビュー戦は1993年3月の東建コーポレーションカップ(現・東建ホームメイトカップ)。3日目が終わった時点でベスト5に食い込み、ちょっと話題になったのだが、最終的には11位タイで170万円ほどの賞金を獲得した。既にプロテスト合格直後の浮かれた気分は薄まっていたものの、実はこの時も「ひょっとして、このまま行けるんじゃないか」と甘く考えた。

しかし、現実は厳しかった。

この年、出場した26大会中、予選通過できたのはたった6回で、夏以降、僕は12月の大京オープンまで全て予選落ちする。予選落ちだと賞金はゼロなので、東建カップの賞金なんてあっという間になくなってしまった。勝てない日々の中で経費ばかりかさみ、10月にはとうとう大会に出る金もなくなった。

実は、このデビュー戦よりも前に、プロの世界の厳しさ、暗さを予見する瞬間はあった。それは1992年秋のプロテストに合格し、先輩ゴルファーと一緒に11月の予選会に出場した時のことだ。
ゴルフの世界では、プロになったからといってすぐ大会に出られるわけではない。シード権を持つごくわずかな人たちを除き、多くのプロは各地で開かれる予選会を勝ち進み、ようやく次の年の大会出場権を手にする。予選会参加者約1,000人のうち出場権を得られるのは上位50人程度――といえば、大会出場までの道のりがいかに険しいか分かってもらえるだろうか。
とにかく、この予選会一日目が終わって、僕と先輩は宿泊先のビジネスホテルに到着した。「じゃあ、また明日」と言って先輩と別れ、自分が泊まる部屋のドアがバタンと閉まった瞬間、僕はふと、なんとも落ち着かない気持ちに襲われてしまった。「あれ?オレの人生って、これからずっとこんな感じなんだろうか」。たった一人で未知の世界に放り出されたような心細さ――。こんな生活が、これからずっと続いていくのだろうか。
それまでの僕は、プロゴルファーの生活がどんなものか真剣に考えたことがなかった。プロテスト合格だけを目指して頑張っていたので、その先はバラ色だと無邪気に思い込んでいたのかもしれない。それが今、見知らぬ街のビジネスホテルで途方にくれている。この時、感じた孤独や焦燥はその先の僕の苦しい日々を十分、暗示するものだった。

■ 1994年に撮影された数少ないスナップ。左から宮本勝昌プロ、トレーニングコーチの石川準司氏、藤田

結局、この予選会はファイナル17位に終わり翌年の大会出場権を得られたが、前述した通り、夏以降全く勝てない日々へとつながっていく。移動費や宿泊費などの経費はかかるため、大会に出れば出るほど、手持ちの金が少なくなっていった。僕はだんだん大会に出るのが怖くなり、第1打を打つティーグランドでは恐怖感すら覚えるようになった。間もなく資金が底をつき、人に金を借りて出場するしかなくなった。その大会でも全く勝てないから、ついに僕は「もう練習したくない」と思ってしまった。

もうやっていけない。もうだめだ。

勝てないのはツアーだけではなかった。翌年の出場権を懸けた予選会もファーストステージで早々に脱落してしまったのである。

人はどん底にいるとき、どうやってそこから這い上がるのだろう。僕は1994年6月ごろまで、どうしても前向きになれなかったが、「9月からまた予選会が始まる」と、何とか自分を奮い立たせて練習を再開した。この年は本当に辛い年で、年間獲得賞金は主催者推薦枠で出場した東建カップの23万4千円だけだった。苦しみながら練習を積み重ね、何とか翌年のツアー出場権を獲得した時、僕は自分の気持ちが大きく変わっていることに気づいた。

楽しいだけのゴルフが、いつの間にか辛いものになっていたのだ。

プロになると、ゴルフは辛くなる。年間4勝を挙げ賞金王になった今でさえ、僕にとってのゴルフは辛く苦しい部分の方が大きい。時に思い通りのショットが打てて、狙った通りのパッティングができても、満足するのはほんの一瞬のことだ。
今でも僕は、あのビジネスホテルの一室で感じた不安を持ち続けている。それを振り払うには、ただ、ひたすら練習に没頭するしかない。その終わりなき孤独な日々がプロゴルファーの生活だと、今の僕は断言することができる。

 

次回:転機 ―― 芹澤さんとの出会い、そして初優勝  3月13日(水)更新

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