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真実の弾道

― 賞金王・藤田寛之が初めて語る、自らの来た道―

Photographer © Taku Miyamoto

HIROYUKI FUJITA

第 2 回少年時代 II ―― クリスマスのサンドウェッジ

中学に入学すると、僕は練習場所が遠いボーイズリーグを辞めて学校の野球部に入部した。それまで内野手だったのが、ピッチャーに抜擢されてしまい、希望のショートを守れなくなって少々不満だった。それでも野球に打ち込む生活に変わりはなく、その合間に、空地でのゴルフ練習を楽しんでいた。
中学2年の冬、思いがけず、初ラウンドのチャンスがやってきた。父の会社関係のコンペに空きが出て、僕が参加できることになったのだ。コンペに出るというので、父は初めて僕を練習場に連れて行ってくれた。それまでの僕の人生には登場しない、<正式なゴルフ環境>というものを初めて垣間見た瞬間だった。

初ラウンドは ―― もう、めちゃくちゃ楽しかった。

■ 藤田が初めてラウンドした久山カントリーの10番ホール

場所は福岡市中心部から車で30分くらいの場所にある久山カントリー倶楽部。それまで空地や公園で打っていた僕には、こんなキレイな芝は初めてだった。グリーンなんて、まるでじゅうたんみたいで、そんな場所でゴルフをやっていることが信じられないくらい、嬉しくてたまらなかった。
出だしの10番ホール。人生初のホールで、僕はパーを取った。そこは池越え135ヤードのショートホール。僕は「ダフったらどうしよう」と、ものすごくドキドキしながら8番アイアンで打った。打球はグリーン奥のエッジで止まり、そこからパターを使って2パットでパー。最高の気分だった。
バーディーも取った。7番ホール。ここは右ドッグレッグのミドルホールで、2オンした後、右へ2mくらい曲がる8mのスライスラインを読み切ってバーディー!

結局、91で上がった。

■ 中学生のころの藤田。学校行事でのひとこま。

大人たちはみんな僕のスコアに驚いたけれど、僕にはスコアなんて関係なかった。ただ、ゴルフをすることが楽しくて仕方なかったのである。

中学3年の夏は、野球に打ち込んでいた僕にとっては残念な季節だった。中学最後の大会(中体連)が得失点差で区大会止まりに終わってしまったのだ。しかし、市大会に進めなかったため、スケジュールが重なっていた『九州ジュニアゴルフ選手権競技』に出られることになった。

西戸崎シーサイドカントリークラブで行われたこの大会については、スタートホールのものすごい緊張感と、逆光の中で打った第1打がテンプラしたことだけを覚えている。スコアはまったく覚えていないし、順位も定かではない。これが、僕の人生初のゴルフ公式戦なのだが ――

中学時代のゴルフにまつわる出来事としては、もう一つ、どうしても忘れられない思い出がある。それは、中学3年のクリスマスに母からサンドウェッジを買ってもらったことである。

その日、僕と母は福岡・天神のデパートに出掛けた。売り場には5千円くらいから2万円を超えるサンドウェッジがずらりと並んでいた。その時、僕が本当にほしかったのは1万5千円か2万円のクラブだったのだが、うちはあんまり裕福ではなかったので、無邪気にそれがほしいと言いだすことはできなかった。何本も手にとっては悩み、迷って、結局、8千円のサンドウェッジに決めた。子供なりに親に遠慮したわけだが、そうして買ってもらったサンドウェッジは僕の本当の宝物になった。

■ 中学生のころの旅行先のスナップ。
年下のいとこたちの面倒をよく見ていた。

このころの自分の感情を思い出すと、こういう切ない気持ちが思いのほか鮮やかに蘇ってきて驚くほどだ。
小学生や中学生のころ、僕は鉛筆や消しゴムといった些細な文具を見ても、「これは父さんと母さんが一生懸命働いて、僕のために買ってくれたんだ」と思って涙が出そうになったことがある。人が聞いたら笑うかもしれないが、そういう切ないような、申し訳ないような感情を味わうことは何度もあった。
<僕のために>とか<一生懸命に>というキーワードが、僕の心の柔らかいところにいつも引っかかるのだった。

かといって、両親への感謝の思いを口にすることはなかった。「ありがとう」なんて、恥ずかしくて絶対に言えなかった。こういうことは僕が勝手に心の中で感じていればよくて、言葉にして説明する必要なんて全くなかったのである。

 

次回:高校~大学時代 ―― 父の涙  2月20日(水)更新

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